昭和49年09月10日 朝の御理解
御理解 第47節
「祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。」
この御理解をただ銘々の上の願い事と言うか、病気等の時の為の御理解とせずに、是を最大限に大きな意味においての御理解として頂きたいと思うのです。今日私はご神前で世界清めと言う事を頂きました。世界を清めるというわけです地球を清めると言う事です。先日から頂きました御理解の中にも、今の事の御教えに関連したことを頂いておりますが。現在地球上には、死相が現われておると。
言うなら現在の地球は末期症状だというのです。人間でもそれこそ死相が現われ、末期症状と言われる状態であっても、神様が最近は奇跡を見せて下さる。奇跡を現して下さるという助かりになっておるので御座いますから。今地球上に現われておるその様な末期症状的な状態の、弱りに弱り果てておる地球。いうならば総人類の存亡の時しかもそれこそ末期症状と言うのですから大変な事だと、私共が分からせて頂いて。今まで地球が出来てこの方と申しましょうかどれ程しの事のお粗末ご無礼が出来て来たか。
特に地球上に住む人間が、本当に自分の住んでおる地球を穢し汚し、そして自分達でその地球を破壊してしまう様な在り方で、今日まで人間が過ごしてきたと言う事です。そこでですそこの所の、本気でお詫びをさせて頂かなければならない。そして又願わなければ出来ないもう本気で祈れそして薬れという手があるならば、その薬れの手も施さなければならない。祈っただけでは間に合わんあらゆる手段を持ってです、地球がおかげを頂いていけれる為のおかげを頂かなければならない時だと言うことです。
そこで私は今日、世界清めと言う事を頂いて、どう言う様な生き方にならせて頂いたら、地球が清まるだろうかと。是はなるほど私共がにちにち御祈念をさせてもらう時に、拝詞を唱えさせてもらいます。世界真の平和を願い、世界総氏子の身の上安全を願う。けれどもです本当に一つのそういう危機感です。目のあたりに例えばひんしの重態のものを見た時に感じるような、はっと思う様な、さぁどうなるだろうかと思う様な、そういう深刻な真剣な状態の時にです。
もし神様が一心にすがればおかげをやる、奇跡を見せると言われるなら、私共が本気にならざるを得ないだろうと思いますようにです。地球のそうした意味合いにおいての、末期症状を聞かせて頂いて成程そういや最近、次々と地球上に起きてくる様々な事柄というものがです。そういう症状の現われでもあろうかと。サハラ砂漠に雪が降る二十五万人からの凍死者が出たとか。南極に氷が張り詰めて船が動けなくなったとか。
今までかってないような、地球にそうした異変が起きておると言う事は、いうなら末期症状の現われであると私共が、そういう風に受取らせて頂いてです。もう難しいかろうごたるけれども、神様が一心に縋ればおかげをやる、一心に縋れば奇跡も現して見せると仰せられるならばです。地球上の上に私共がそういう一つの危機感を感じる。所謂寒天危地である。神様も寒い思いをなさる。地球上に危機が迫っておる。
それを神様がお喜び頂け私共も助かる事の出来れる、観天喜地にしなければならない。それは神も喜び地も喜びという歓天喜地ですね。もう難しいと思うものが助かると言う事はそのままが、私共の喜びであると同時に神の喜びなのである。そこで世界を今まで汚れに汚れてきた地球がです。教祖様がお言葉の中にも仰せられて居ります様に「世の中が開けた開けたと言うけれども、開けるのではないめげるのぞ」と仰った。そのめげるもう極限に来ておる。めげて破壊されてその極限に来ておると言う事なんです。
お釈迦様もキリスト様も、やっぱりその事を予言しておられる。末世の時代がくる最後の審判を受けなければならない時が必ずくる。そういう時がですもう近付いておる。神様方も気が気でない。御理解の中にもです。天地は終始流行る事もなからければ、すたる事もない、終わりも無い。天地は流行る事も終わる事もないのですけれども、地球は終わりがないとは、教祖様は仰っていないでしょうが。天地そのものは悠久なのだけれども。地球はめげにめげていったら、めげてしまうというのです。
神様を信ずる事の出来ない人達、いうならば無信思想ほど恐ろしい思想はありません。それは、幸福の破壊思想なんです。神を信じない、神がおるやら何やら分からない。神様なんか仏様なんかおりゃせんのだと言う様な思想です。無信思想ほど恐い事はない。その恐い事が、今現われようとしておると言う事なんです。幸福のいうならば無信思想は、幸福の破壊思想なんです。幸福を必ず壊してしまうです。
そこで私が今日「世界清め」と言う事を頂いたがです。今まで汚れに汚れてきた、壊れに壊れてきた様子の地球を清めたり、正常に戻す働きは、どう言う事にならせて頂いたら、おかげが頂けれるでしょうかと言うてお伺いをさせて頂いたらね、鹿児島の教会長、行徳久人先生の顔を大きく頂いたです。行徳久人あご無礼「行徳清人」。清い人と書いてある。行は行うと言う字。徳は御徳の徳ですね。
そこでです神を信ずる事の出来る人達、又は神を信じるおかげを頂いておる人達が、その為に行をする。この人が助かる事の為に、矢張り行をする様に地球が新たに生まれ変わる事の、人類が助かる事の出来る為の世界清めの行という物をです。その事をおかげを頂く事の為に、私共が是からの修行をしなければならないと言うのです。そういう世界を清める人達がそういう同士が、沢山出来なければならない。一人で持ちあがらない石でも、大勢が掛け声を揃えて持ち上げれば、容易に持ちあがる事が出来る様に。
そういう神を信じた力を持った、お徳を受けた人達がです。集まってそれこそ一二の三で持ち上げれば、どういう重たいものでも持ち上げるように、そういう運動そういう活動が、愈々なされなければならないというわけです。そこで私は全教一新全教一家と。沢山な宗教がございます。そこの国々においてです、矢張りそこの国の人に適応したというか、合うた宗教がやっぱりあります。
その宗教が始められる時には、必ず教祖宗祖の時代にはです。生き生きとした奇跡を現す事の出来る、不思議な働きを現す事の出来れる力があったに違いありません。それがただ教えだけは残ってそういう働きが、段々なくなってきた。まぁ老衰状態に入っておる。そういう宗教もです所謂全教一新してであります。そういう教祖宗祖の時代の信心に、立ちかえらせて頂いてそしてそういう宗教人がです。全てが手に手をとって、そうした大きな世界の難儀に取り組ませて頂くというおかげを受けなければいけない。
金光教だけの全教一新じゃない。金光教だけの全教一家ではない。世界中の宗教者がです。いうなら今日頂きます神を信ずる事の出来れる人達が、その為に一つ本気で修行をさせて貰うてです。もう壊れに壊れかかっておる地球を救おうという、そういう働きがです、出来れるおかげを頂かなければならない。今日の御理解は祈れ薬れというこの御理解を頂く時に、結局私共個人のどうかある時に、薬飲んどいてからあら拝むとを忘れておった、御取次ぎを頂くとを忘れておったと言う様な事ではおかげにならんと仰る。
薬を飲むなら飲むごとちゃんと薬は必ず毒になるものだから、それが毒にならんように、注射を打っても注射の打ち違いがないように、御取次ぎを頂いてお願いをして薬を飲み、注射をさせてもらえば薬が薬としての、注射が注射としてのおかげになるのだけれども。薬れ祈れにすれば、おかげにならんと断言しておられますよ。だからそういう意味合いを今日は最大限に広げて聞いて頂いた訳です。
いうなら地球の難儀、地球がそのような末期症状にあるほどしの大変な時。そこで私共がです。行徳であり清人所謂、そういう徳を積み力を得、神を信ずる人達がです。清める人。清人とは世界を清めていく人に、私共が御取り立て頂かなければならない。それを今合楽では、合楽示現活動に参画するという風に言われております。いかに合楽示現活動と言う事がです、世界を清めて行く事の為の修行であるかと言う事を、私共が一つ認識しなければいけません。
合楽と言う事は、合楽のお広前が繁盛すると。そういう意味じゃない。合楽というのはです私共が信心によって、本当に是が信心の喜び、是が極楽というものでもあろうかと、信心させて頂く者だけしか、喜べれない所の喜びに浸っておるのだけではなくて、その喜びをもう一つ向こうの合楽。いうなら神も喜んで下さり氏子も喜べる、神も立ち行き氏子も立ち行くと言う様な運動を、合楽示現活動と言う訳ですから。その合楽示現所謂、神様が仏様が不思議な働きを示し現す事を示現という。
そういう尊い神様の御働きに対してです、私共、参画させて貰う。参画させて貰うと言う事は、そういう計画に預からせて頂くと言う事。為には私共が本気で修行をしなければいけない。その修行も火の行水の行的な自力から生まれたり、養われたりする修行ではなくてどこまでも、神様のお働きを先頭に立てた。実をいうたら他力の発動を待つ以外にはないほどしなんだ。願ったからおかげを頂くと言うて、小さいものではなくて、神様が発動ましますっておられる。
その発動にましませておられる、それに私共がです参画させて貰う。そういう働きに私共が預からせて頂くと言う所にです。信心協力とでも申しましょうか、人間と神様とが力をより合わせてです、世界の難儀に取り組ませて貰う。最近信心示現活動に参画して、本気でその事に、ご用を頂いておられる方達が、一人一人異口同音に、言っておられる事は、一生懸命になれば神様がちゃんと、そこにはお膳立てをして、下さってあると言う事を、皆が言っております。
あの人に一つ示現活動を働きかけようと思うと、神様がすでに働きかけておられる事をそこに感じるというのです。昨日福岡の高田さんという方からお手紙を頂いた。是は西新教会の総代さんなんです。この頃から福岡の市長さんにどうでも福岡市民の為に、合楽にお参りをして下さいこの本を読んで下さいと言うて、お勧めにいかれたというあの方なんです。伊万里の市長さんも参っておられます。久留米の市長さんも熱心に市政の事から降る照るの事に至るまで、お取り次ぎを頂いておかげを頂いておられます。
福岡市民のために進藤と言われる市長さんでしょう。進藤市長あなたもどうでも、合楽にお参りをしてくれ、この本を読んでくれと言われる。素晴らしい示現活動です。そういう政治家とか上に立つ人が、そういう働きになっておるなら、伊万里市の市政の上に、竹内先生がああして熱心に御取次ぎを願っておられるから、それこそ伊万里市の上に大変なおかげが現れておるようなもんです。
昨日はこういう手紙が参りました。松下幸之介と言う方にです手紙を出しました。だからその複写になっておるほうを、そのままを送りますからどうぞ御祈念をして下さいと言うのである。ナショナル電器の社長さんですかね。それこそ天下の松下です。この頃から此の方が自分の一生のことでしょう。この頃からの出光さんも色んな本を書かれたが、松下さんも本を書かれた。それが大変な人気で若い、私も二人の息子にですあの本を読んで貰うた。そして私も読ませて頂いた。
だからああいう素晴らしいいき方をなさるあなたがです、これにもう一つ合楽の信心を頂かれたら、愈々完璧愈々素晴らしい事でありましょう、と言うて合楽の始まった事からずっとこれに書いてあります。こう言う様な教会で私もお会いしてから、あちらの教会長大坪総一郎という人にお会いして、こうこうであったという私の説明も、教会の説明もしてそれを松下幸之助さん宛に便箋二枚に、びっしり書いて出しましたからどうぞよろしくお願いしますという手紙でありました。
もうそれこそ今ここで合楽示現活動と言う様な働きが始まったら、思いもかけないここの信者さんでもない方がです。そう言う様な活動を始めておられると言う事は、神様が先頭に立っておられると言うより他に言い様が無いです。神様もいうならばその様にです、疑うてかかっても願う気があれば、奇跡を見せると言うて下さってあるほどしですから、そこに難儀な人があるならば、詳しい事を言うても分からんなら、また受け付けもしないならば今その人が、難儀な所をです。
とにかく今の合楽では、奇跡を見せると言われるほどしですから、おかげを頂かれたらどうですかと、お話をしてそこから成程神も信じない。神もあるか無いかも分からなかった人が、成程神様がござるばい、神様の働きちゃこういうもんだろうかと分かる事が出きれると言う事。そして神を信じる生活に、その方達が入って行くと言う事。それが一人よりも二人二人よりも十人、百人千人万人とです。多くなっていわゆる光臨の世界を広げていく。光りの輪を広げて行く所の働きそのものがです。
世界を清めて行く所の、私は修行であると皆さん思うてです、この修行を本気でこの修行に取り組ませて頂いていかなければなりません。昨日土居の久富勇さんの所の、宅祭り謝恩祭でした。本当に素晴らしいお祭りでしたが、お迎えに久富正義さんが迎えに来てくれました。自動車の中で道々正義さんが申します事が、先日からある銀行関係の、大変偉い方にお会いして、今田川の方から久留米の方に見えておられる。色々話ししよったら、金光様の信者である事が分かった。
そうですか私は合楽教会に、こうしてご縁を頂いておるが、あなたはどちらでご信心なさっておられるかと言うたら、近くだから花畑教会にお参りしておると言う事であった。この方は中央にも顔を出しておられて、大変田川の時分に教団のためにも活躍した方らしいです。その方がいつも鞄の中に入れておられるのは、「金に好かれる道」かなんかと言った様な、高橋正雄先生の本を入れておられてから、金で困っておられる人達に接しられるわけですから、。
に好かれるためには、この本を読んで下さいと言うて上げられるそうです。だから正義先生にも、それをやられたそうですから、自分もおかげの泉を代わりに上げようと思ったけれども、持ち合わせがなかった。残念。もう本当に二、三冊はちゃっとハンドバックの中にでも、鞄の中にでも入れておく位な心がけが要るです。示現活動に本気で参画するためには。この正月に名刺交換会が、久留米の有名な人達ばかりの交換会がある。
その時間に遅れた。そしたら市長さんが近見市長です。今日はどうして遅くなられたですかて言われるから、実は今日私は、金光様の教会の元旦祭に参ってきよったから、遅うなった。あらあんたも金光様信心するですか。私も合楽にずっとお参りしますよ。と近見さんが言われてから、大変心強かったという話を、正義さんにされたそうです。近見さんあたりでも、合楽にご信心を頂いておると言う事を、堂々と言われるだけのものを、合楽に信じ感じておられると言う事を。
私は車の中で「有り難いなぁ正樹さん」というて話した事でした。大概な者なら特に政治家なんかというものはです。もう信心があったっちゃ、なかような風をするのが普通ですよね。それのほうがインテリであったり、知識階級であるようにそういう、無信思想ほど、だから恐ろしい事は無いということです。そういう神様を信じない者がです、ああでもない、こうでもないと言うて、何千年、いうならば、目次録によるところの、六千年なら六千年としてもです。
そういう生き方で地球上の人間が明け暮れてきたのですから、本当に成程壊れに壊れてきても仕方がないような時に至っておると言う事なんです。皆さん本気で二十五年間、合楽で御導きをしなさいよ、おかげを頂いたら人にも伝えなさいよ、もう私はこれから先も、この事だけは言うてこなかったのですからね。合楽で二十五年間。それが私が口を開けば、合楽示現活動に参画させて貰おう、また参画しなければいけないよ。人の顔見りゃ信心を頂きなさいよ、おかげが頂かれますよと言わなければおられない。
いうなら二十五年間の間に、貯まりにたまった一つの光りのようなものがです、今関をきったように広がろうとしておるのです。それを広げさせて頂く所の御用に立たせて頂くことこそです。世界清めの修行になるのだと私は確信致します。本気に一つ世界を清めなければ。そして様々な手段があるならば、祈れだけではいけん、いうならばそれこそ遠い近いを言わず、そこに難儀な人があるならそこに行ってからでもです。
此の頃佐田さんなんかは、日田の山奥の奥の方へ、大変難儀な方がある。しかも自分方に、ちょっとした関係があるから、わざわざ泊りかげでそこに行かれました。わざわざその事の為に。そしたら行かれてから帰ってこられるまで、それはもう本当に神様のお膳立てと言わなければおられないほどしの、帰りの久大線の汽車の中でまで、もう今久大線ガラーンと空いてる。たったお婆ちゃんが一人座ってあったから、その横に座って何かお話しの一つでもさせて貰おう。
おかげの泉を出してこうやって読みよった。けれどもどうも話が出来る機会がない。所がです、それこそ素晴らしい、風体をされた奥さんが、その開いておるのに二人掛けておるとこの前に座わってこられたわざわざ。その時に自信が出来た。確信が出来たはぁ神様は、わざわざこんなに車は開いておるのに、二人掛けておるそこに、前に掛けなさるということは、神様のこれは示現活動が始まっておるのと思うて、このご本をお読みになりませんかと言うて上げられた。そして段々お話をされた。
是を金光様と言うなら、私共の主人がね丁度、二ヶ月前に亡くなりました。その時に日田の酒屋さんという方と、宝石商の方がお導きに来て下さってから、金光様に私はその時に縁がありますとよと言うて話された。さぁそれは日田の丸亀さんの事です、綾部さんの事ですよ。宝石商というのは竹内さんの事ですよ。お名前はなんと仰いますかち言うたら「大鶴」成程その時分大鶴さんのお届は、二人からずっとあっとったです。
そして大変な苦しみであったのがです、御神米を持って行って上げられた、その時点から、苦しみだけが無くなったです。その後聞いてはなかったけれども、もうそれは大変なおかげじゃろうというぐらいにです。いわゆる安楽往生をおかげを頂かれたと。だからおかげの泉と一緒に、御神米をこう上げられた、はぁこの御神米でした、この御神米を日田の方達から頂いておりました。ここの独特な御神米でしょう。
ですからそれを枕の下に敷かせて頂いて、所が実は私のほうは昔から観音様の御信心をする。それが中々金光様と言うて、そのなんですけれども。まぁとにかくけれどもこういう不思議な縁はございません。あなたとここでお会いすると言う事は。それから向こうから話しかけられた。私の方は皆教育者ばかりでございましてね。教育庁で一番偉い方らしいですご主人が。息子さん達も。それでこの頃はあなた、インターハイの事を知っておられますかと、向こうから言われるそうです。
神様は向こうからそういう風に言って下さる。だから皇太子殿下の見えた時には、一番間近で、私共一家は見物させて頂いたのですけれどもという話しがあった。それは私も競技場の直ぐそばですから、知っておる所じゃありませんが。あん時には前の日までああいう雨嵐の続いたのに、あの一日から七日間お湿りが無かったでしょう。あれは市長さんが、ずっと合楽にお参りになられて、お願いをなさってから、ああいうおかげを頂いたんですよと、話されたから愈々ビックリされたと言う。
そういう話しをこっちからしようと思うとるとじゃないけれども、向こうの方からそういう話を持ちかけられる。いうならば神様が示現活動に先頭に立ってござる。立ってござっても人間氏子、私共がついていかなかったら、それこそ無駄になってしまう。神様の働きが無駄になるでしょう。私共が本当に一心発起、本気で一つ合楽示現活動に参画させて下さいという願いを持ってです。せめて自分の接して行く人達の中に難儀を感ずる人があるならばです。
是非ともお導きをさせて頂いて、いうならば、私共の祈りの同志として、その同志の横の繋がりを、愈々大きな、強いものにしていかなければならない。そういう働きこそがです、世界を清める事の、私は修行になると思うのです。今の地球の上に世界総氏子身の上安全、世界真の平和祈っております。毎日唱えております。けれどもそれを本当に真剣にです、私共が今こそです、祈れ薬れの信心を、地球の上に現していかなければならない時だと思います。
どうぞ。